【若獅子神社】静岡県富士宮市に戦車を見に行ってきました。
さて、今日の二部目です。
御殿場プレミアムアウトレットモールで買い物をしてから、再び高速道路に乗って静岡県富士宮市へ。
「戦車が置いてある神社がある」と前々から知人に聞いておりまして。
一度は訪れてみたかったんです。
先の大戦では日本軍の主力戦車として、太平洋の全域で活躍しました。
よくアメリカが作った太平洋戦争ものの戦争映画で出てきますね。
奇妙なハリボテみたいな戦車がカタカタと画面に出てきて、バズーカや迫撃砲で一方的に撃破されるという、、、
今回、この戦車が置かれているのは若獅子神社というところです。
あまり車も通らない周りが畑の田舎の道に突然青い看板が現れます。
鳥居がありますが、一般的に想像するような社殿がある神社ではありません。
「若獅子の塔」と呼ばれる慰霊碑のようなものがあり、碑文が刻まれています。
脇に戦車です。
キャタピラが切れ、弾痕の跡が生々しい戦車。
操縦士が外を見るための窓はコンクリートのようなものでふさがれていました。
ひょっとしたら車内はコンクリートが充填されているのかもしれません。
今まで本や写真、モノクロ映像などで九十七式中戦車を見ることはありましたが実物を見るのは初めてです。
昔は野ざらしで置いてあったそうですが、今では屋根もできて車体にも防錆処理がされているようです。
何故、ここに戦車があるんでしょうか。
この戦車は玉砕の地サイパンから持ち帰った戦車とのことです。
いわば若獅子神社の御神体ともいえるものなのでしょう。
戦前、この若獅子神社一帯は陸軍少年戦車学校のあった地域とのことです。
ここを卒業した少年戦車兵達が中国の満州に渡り、戦争末期に戦線が悪化するなかを絶対国防圏を守るために満州から南方のサイパンに渡って米軍との激戦の末に玉砕しました。
九十七式中戦車は米軍のM4シャーマン戦車には太刀打ちできませんでした。
戦車砲を命中させても分厚いシャーマン戦車の装甲は貫通できなかったようです。
よく戦争映画に「やられ役」として登場する九十七式中戦車ですが、当時のアメリカと日本における工業力の差というべきか、設計理念の違いというべきか。
実際、この戦車に乗って戦って戦死された方々がいるんだろうなぁと弾痕だらけの車体を眺めながら思ったのでした。